SCENE273  【睡眠とストレス】 被災者の心の危機

 被災から少し時間が経過しました。暦も4月になりましたが、気候はひややかな日が多いです。大震災という心を動かされる天災が、まだそれほど時間経過していないのですが、随分経過した感覚を感じます。
 今までは、生存していくためにエネルギーを使っていた時期が、少し落ち着きを取り戻すことによって、「何で助けられなかったんだ!」という自責の気持ちがでてきます。

子供たちも、被災地から引越しすることで、友達と別れる現実があります。時間経過と共に、寂しさを大きく感じる悲しさを受け止めることが難しい時期がきます。

以下、精神科医のメルマガの引用です。

「子供に、大丈夫って言ってあげてください」という広告や通達がある。被災した子供がPTSDにならないための予防策である。

親が子を気遣うことが、今ほど大切な時はない。
そのため、このような配慮が必要なことはよく分かる。

しかし、まぜっかえすわけではないが、
危機的状況で前後不覚に陥った親が、本当に子供に「大丈夫」などと言ってあげられるのか。

明日の周辺環境どころか、明日の我が身さえ無事でおれるか分からないのにである。

おそらくそのような状況にある親は、身を打ち振るわせており、
そばにいる子供も、たちどころにその親が放つ危機の臭いを察するであろう。

実は、子供にとっての本当の危機は、側で守ってくれるはずの親が、
どうしようもなく無力なまま立ちすくんでいる様を目にすることなのではないか。

親が子供に、「大丈夫」と言ってあげるためには、親にも若干の余裕がなくてはならない。
今回の東日本大震災では、その親の余裕が確保されることがないほどの状況が、そこかしこに見える。
そこが、まさに未曾有の事態なのである。

だから、親は子供に大丈夫と「言ってあげる」のではなく、
”大丈夫だよ、きっと”と「言い聞かせ合う」ことこそ、必要なのだろう。

そして何よりも大事なのは、親が子供を「抱いてあげる」余裕がないのなら、
震えながらでもいいから、互いに「抱きしめ合う」ことなのだろう。
このような場合、肉親の人肌のぬくもりに勝るものはない。

PTSD治療・援助について、いろいろセオリーが語られるが、
何よりも大事な一次的援助は、このように言葉にできないものである。

子供のようないわゆる”弱者”へ配慮することは当然必要なのであるが、
”相対的強者”であるはずの親も、文字通り脆弱な地盤の上で、相当傷ついている。
このことこそ、今回の震災の深刻さを物語っている。  以上

◆失った命は数え切れない現状ですが、その中で命を授かる出産もあります。
 ほんとうに元気な子であれば・・・と思います。

 今回、これほどまでに世界から熱いメッセージが届くとは予想して
 いませんでした。